出澤真理教授の経歴や学歴は?夫やプロフィールについても深掘り!

あのMuse細胞を発見した出澤真理教授の経歴やプロフィールについて確認していきましょう!

お父様も研究者で、海外に住まれていた期間も長いそうです。

Muse細胞を発見した経緯がまた面白くて、こんな偶然もあるんだなと感じました。

こちらの記事では、出澤真理教授の経歴やプロフィール、学歴、Muse細胞発見のとんでもエピソードについてまとめてみました。

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出澤真理教授の経歴やプロフィールは?

出澤真理教授の経歴やプロフィールを詳しくみていきましょう。

プロフィール

お父様のお仕事の都合で、1歳〜4歳までアメリカで過ごされています。(お父様も生物学者として研究に励んでいたようです。)その後、西ドイツへ。

小学校の途中で一旦日本に帰国しましたが、高学年から再度アメリカへ。

中学2年で日本へ戻ってきたのは中学2年生の頃なんだとか。

経歴は?

経歴について確認していきましょう!

1995年 千葉大学大学院医学研究科 博士課程修了。
そして、千葉大学医学部 助手
2000年 横浜市立大学医学部解剖学第一講座講師、2003年 京都大学大学院医学研究科助教授
2008年 東北大学大学院医学系研究科教授。
東北大学医学系グローバルCOE「Network Medicine創生拠点」国際ネットワーク連携委員会委員長も務める。
専門は再生医学、幹細胞生物学。

Muse細胞を発見した経緯がまた面白いのでご紹介します。

Muse細胞発見の経緯は?

以前、出澤真理教授がご講義でお話されていました。

結論からお伝えすると、Muse細胞の発見は、ミスと偶然の産物だったそうです。

ある日、出澤真理教授が骨髄間葉系幹細胞からの骨格筋誘導の実験を行っていた際に、他の先生から、『早く飲み会に来い』と言われ焦ってしまい、本来いれるべきものと違うものを入れて、そのまま飲み会に行かれたそうです。

翌日実験室に行ったところ、分化培地の骨格筋細胞がほぼいなくなっていました。←素人には全く理解できませんが。。苦笑

焦って間違えて、分化培地を入れる予定が、消化酵素トリプシンを入れていたらしく、ほとんどの細胞は死滅していたんだそうです。

ただ、わずかながら浮遊していた生き残りの細胞があり、この浮遊していた生き残りの細胞は消化酵素に耐えていた細胞であり、これがMuse細胞の発見に繋がったんだそうです。

色んな偶然が重なって、こんな大発見に繋がるなんて、、面白いですよね。

もし、その日飲み会が無かったら、、Muse細胞の発見には繋がらなかったと考えると、実験には失敗も大切なことと言われる所以はこの事からくるんですね。

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出澤真理教授の学歴は?

医学部という輝かしい経歴をお持ちです。

井澤真理教授は実は検事さんになりたかったそうです。

プロフィールでご紹介したとおり、ずっと海外暮らしで、プライベートスクールにも通っていませんでした。ご本人いわく、あまりまともな教育は受けられなかったようで、掛け算を習ったのも小学6年生辺りなんだとか。

すごく意外でした。

中学2年生の時に、日本に帰国し、勉強をはじめたそうです。

ただ英語以外は全く自信がなかったそうです。

国語が難しいとおっしゃってました。

ご本人の希望としては、検事になりたかったので、法学部に進みたかったけど、六法全書を理解出来ないと感じて、医学部専攻にしたそうです。

どちらにしろ相当努力した事は間違いないでしょうね。

出澤真理教授の夫はどんな人?

出澤真理教授はご結婚されていますが、旦那さんはどのような方なのでしょうか?

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出澤真理教授の経歴や学歴は?夫やプロフィールについても深掘り!まとめ

以上、出澤真理教授についてまとめました。

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