瀧川鯉斗は名古屋の元暴走族総長!画像やグループの名前や武勇伝は?

瀧川鯉斗

現在人気知名度とも急上昇中で、俳優顔負けのルックスを持つ落語家といえば瀧川鯉斗さん。

2019年5月には真打に昇進しました。

その瀧川鯉斗さんの過去や経歴がもの凄いと話題になっています。

落語だけではなく、TVのバラエティ番組やワイドショーでも見かける日が多くなってきました。

瀧川鯉斗さんはなんと若い頃には名古屋で暴走族の総長をやっていたという驚きの過去があります。

その頃の画像やグループの名前やとんでもない武勇伝は?

落語家の瀧川鯉斗は名古屋の元暴走族総長というとんでもない過去が!

画像やグループの名前や武勇伝は?

気になる方もこの記事を読めば瀧川鯉斗さんをより詳しく知れるように調べてみました。

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瀧川鯉斗は昔は名古屋の暴走族の総長!チーム名や画像は?

こちらが瀧川鯉斗さんの画像になります。

画像は?

今とは比べられないくらいイケイケの表情をしてますね。

身長182cmもあり、当時のモットーは「売られた喧嘩は買う度胸 売った喧嘩は勝つ根性」で喧嘩に明け暮れていたそうです。

チーム名は?

所属していたチームはスペクターと言って、かなり大きな暴走族です。

そしてなんとスペクターは映画化もされているくらい当時は不良の間でも憧れの暴走族だったようです。

 

瀧川鯉斗の名古屋の暴走族時代のエピソードをご紹介!

では瀧川鯉斗さんの暴走族時代のエピソードをいくつか紹介したいと思います。

瀧川鯉斗さんが入っていたスペクターは名古屋支部のものです。

中学生の頃から暴走族の人たちとの付き合いがあり、高校中退後アルバイトをして念願のバイクを購入します。

そして喧嘩を繰り返す日々でしたが、17歳のときにスペクター名古屋支部12代目総長になりました。

名古屋支部のスペクターは「天白スペクター」という名前というのは、以前瀧川鯉斗さん自身がインタビューで語っています。

①瀧川鯉斗が退学に至った経緯は?

瀧川鯉斗さんは小さい頃はサッカーにハマっていて中学時代はサッカーの愛知県代表選抜にもなっています。

高校はサッカー推薦で進学予定でしたが、日頃の行いが災いして予定していた高校への進学が取りやめになってしまいます。

結局、高校には行くことになるんですが、受験して受かった高校は不良が集まるような悪い学校だったそうです。

入学初日からハプニングがあり、素行の悪い先輩に目をつけられてしまいます。

よっぽど瀧川鯉斗さんに存在感というか悪い雰囲気がただよっていたのでしょうか。

その日にいきなり喧嘩をしてしまい、学校側から瀧川鯉斗さんの母親に連絡がいくことになりました。

母親は息子が初日から喧嘩をして停学を覚悟したそうですが、処分は停学ではなくさらに重い「退学」だったそうです。

普通はよほどのことがない限り停学処分で済むはずですが(しかも登校の初日ですしね)、いきなり退学とは相当派手に暴れたのでしょうか。

このあたりにいきさつは先生からも聞いてみたいですよね(笑)。

とりあえず授業も受けずに瀧川鯉斗さんは退学となり高校を中退することになってしまいました。

これ以降、暴走族にのめり込むようになります。

平和公園で100対100の喧嘩

当時から喧嘩の強さは地域でも評判だったらしく、それを物語るエピソードがこちら。

瀧川鯉斗さん自らが率いる暴走族と敵対する暴走族との間で抗争が起きました。

対決方法がまたすごくて、100対100の喧嘩をすることになります。

対決の場は平和公園という大きな場所だったようですが、喧嘩をする場所が平和を象徴する公園って何かのギャグですかね??

とにかくその平和公園で決着をつけるようになるのですが、その決闘の場で瀧川鯉斗さんは相手の暴走族から金属バットで頭をフルスイングで殴られたとのこと…

12針を縫う重症を負ったんですが、それでも相手の総長との1対1のタイマン勝負に持ち込み瀧川鯉斗さんが見事に最後は勝ち喧嘩が終了したというエピソードが残っています。

聞いてるだけで怖いですよね。

③300台の先頭で暴走?

そのほかのエピソードでは、瀧川鯉斗さんは総長時代に300台を引き連れてバイクを走らせていたことも。

以前Containerというネットのインタビューでこう語っています。

“つねに100台とかはいて、特別な日は300〜400台くらいで走ってました。当時は本当に楽しかったですね。エンジンをどうすればうまくふかせるかとか、ラッパをどのタイミングで鳴らすかとか、そんなことばかり考えていました。ラッパって、バッテリーを食うから、1日に2回くらいしか鳴らせなくて……、「ここぞ」というときまで取っておくんです。”

本人たちは楽しく走っていた記憶があるようですが、周囲の人たちは絶対迷惑していたでしょうね(笑)。

なんせ100台以上、時には300~400台のバイクが一斉に走ってラッパを鳴らすとなると、かなりの騒音に違いないですから。

この辺りの暴走族時代のやんちゃエピソードトークは、瀧川鯉斗さんのYouTube徳光ちゃんねるで話されているので興味がある方はぜひチェックしてみてください。

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瀧川鯉斗が上沼に説教される?

そんなやんちゃだった瀧川鯉斗さんですが、芸能界は暴走族と同じくらい?上下関係は厳しい世界です。

上沼恵美子から説教?

瀧川鯉斗さんが「怪傑えみちゃんねる」に出演した時のことです。

番組のゲストとして出演していた時に暴走族時代の数々のエピソードを披露。

そして上京してアルバイトをしていましたが、あるとき現在の師匠である瀧川鯉昇さんの落語を見に行き、そこで今までにないくらい心を打たれて落語家を目指したと語っていました。

途中までは番組MCの上沼恵美子さんもうなづいていましたが、

暴走族時代のエピソードを聞いた後に瀧川鯉斗さんへ「お父さんお母さんを泣かせたね。これからは親孝行して…送金とかされてますか?」と質問しました。

瀧川鯉斗さんが「これから親孝行をしようと思っています。」と答えると「しようかなと思ってるだけじゃあかん。」とアドバイスをします。

真打なんやから親には月に10万円は送ってほしいと言うと、瀧川鯉斗さんは「そうですね。」と答えましたが、上沼恵美子さんはアドバイスが説教となりさらにヒートアップします。

先ほどは月に10万円を送ってあげて、と言っていたのがいつの間にやらその金額は30万円まで引き上げてスタジオは爆笑となりました。

上沼さんにとったら、かわいいはずの息子が碌に学校にも行かずに不良になり、そこから暴走族で迷惑ばかりかけていたのにちゃんと育て落語界でも成功したのは親のおかげだという想いがあったのでしょうか。

優しいアドバイスが厳しい説教にはなりましたが、最後には瀧川鯉斗さんも深く頷いていたので気持ちが伝わったはずです。

こういうときの上沼さんは心強いですよね。

さすが大阪の人情があるおばちゃんって感じです。

番組の視聴者もこのやり取りには心温まったのではないかなと思います。

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瀧川鯉斗に「リアル昭和元禄落語心中」と言われている?

去年10月19日に放送されたテレビ朝日の「激レアさんを連れてきた。」に瀧川鯉斗さんが出演したエピソードも面白いです。

暴走族から落語家になる過程が「リアル昭和元禄落語心中」と言われています。

昭和元禄落語心中とは人気漫画のことで、主人公の与太郎はすさんだ生活を送っていましたが、服役中に聴いた八雲の「死神」に感動し出所後に八雲に弟子入りを志願する場面があります。

視聴者にはそれが瀧川鯉斗さんにとって師匠である瀧川鯉昇さんとの出会いから弟子入り、そして落語界で真打にまで昇進するのとシンクロしたのでしょうか。

漫画の場面と同じように、落語によって人生を救われた瀧川鯉斗さんの姿が重なったようですね。

努力をすることで未来を明るいものに変えられる、そう瀧川鯉斗さんの背中は物語っているようでもあります。

瀧川鯉斗さんの暴走族から落語を目指す過程などについてまとめた記事もぜひご覧ください。

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瀧川鯉斗は名古屋の元暴走族総長!画像やグループの名前や武勇伝は?まとめ

瀧川鯉斗さんの暴走族時代と知られざるエピソードをまとめてみました。

現在の穏やかな姿からは想像できない波乱万丈な人生を歩んでいる瀧川鯉斗さん。

落語界の未来は瀧川鯉斗さんの手にかかっていると言っても大げさではないくらい存在感が抜群ですよね。

バラエティ番組やワイドショーなど活躍の場を広げていますが、それが落語界にとっては知名度をあげファンを増やすことにもなります。

もし落語にまだ触れたことがなければ瀧川鯉斗さんの寄席に行ってみてはどうでしょうか?

何か人生のヒントを与えてくれるかもしれませんよ。

瀧川鯉斗さんの人生が落語によって変わったように。

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